奪うためじゃねえ、守るための戦いだ

新作映画「HiGH&LOW THE MOVIE 2/END OF SKY」を
鑑賞してきましたので、本日はこの作品をレビューします!

日本黒社会を束ねる極道組織・九龍グループはカジノ
利権を巡りSWORD地区に度重なる揺さぶりをかけるが、
九龍への復讐に燃える雨宮兄弟がその最中で極秘
ファイルを入手し、志を同じくする琥珀へUSBを託す。
一方、ホワイトラスカルズとは犬猿の仲にある悪の
スカウト集団・DOUBT創始者である蘭丸が出所し、
彼は刑務所仲間であるプリズンギャングを傘下に
引き入れ、宿敵ロッキーとの決着を目論むのだった。
山王連合会リーダー・コブラは次々と現れる脅威を
前に、SWORDの結束を呼びかけ協定を提唱するも
当然耳を貸す者は多くなかった…というあらすじ。

架空の地域「SWORD地区」の覇権を巡って日々
ケンカに明け暮れる男たちの青春群像劇をこの
21世紀になってクソ真面目に描くことで、IQの低い
ファンを加速度的に増やしつつ更にIQを減らしに
かかってくるという恐るべき劇場作品も三本目。

その内容とは劇場版一作目の初心に立ち返る
とも、或いはスピンオフ作品「REDRAIN」の反省を
踏まえたとも言える仕上がりになっていて、彼らが
SWORDに生きる上で抱える過剰な「地元愛」を
再びピックアップし全面的にアピールしています。

前作のREDRAIN基準で話しますと、前回の何が
ダメだったってまず長男の尊龍氏が作中の半分で
不在、口を開けばポエムタイム、合流してもろくに
三兄弟最強伝説を披露しないまま勝手に死ぬ
という、斎藤工の立ち回り以前に問題ありまくり
だったプロットから一変して、今回は男たちの
熱い「絆」を複雑な蜘蛛の巣のように展開。
映画やドラマで築いてきた関係をより強固な
土壌へ積み上げていくのを余所に、新キャラの
蘭丸を筆頭に観客の知らない「過去の因縁」
やら「腐れ縁」やらを掘り起こしてなんだか
すごく深みのあるストーリーを構築している
かのように錯覚させることに成功しています。

もう一つは世界観とその丈に合った振る舞い方に
あって、REDRAINでは香港ノワールの真似事を
しようと背伸びをした結果、かえって規模の小ささを
思い知らされるションボリ具合が目立っていました。
今回、ハイローに本当に必要なのは横転したタンク
ローリーを爆発・炎上させることなんかではなく、
素手で乗用車を破壊してみせる方のファンタジー
だったんだと琥珀&九十九コンビが改めて実感
させてくれるように、冒頭でRUDEBOYSが披露する
パルクール、「任侠沈没」に登場するアンデッド
並の耐久力を誇る不死身のヤクザ・源治が日本刀
片手に爆走する車とバイクの間を飛び回る変態
演出が随所に散りばめられ、あくまでVシネの延長に
あるかのような、限られた予算の中でどれだけ
アイディアを捻り出せるかに特化した「ローカル感」
「アットホーム感」が、ハイローの世界に戻って来た
のだという実家のような安心感をもたらしてくれます。

蘭丸やプリズンギャングに代表される、無尽蔵に
増え続ける登場人物!際限なく広がり続ける
風呂敷!には、ハイローという作品にあっては
最初から空気として漂っていたとっ散らかり
ぶりがいよいよ収拾不可能目前のレベルへと
及んでいますが、一旦は九龍との抗争にケリを
つけてDOUBTとの小競り合いに戻すグレード
ダウンを図ることで、作品の破綻をギリギリで
防ぎ観客が追える範囲に留めるという、破裂
寸前の圧力鍋が如き様相を結果として示す
ことにも繋がっており、これを一体どこまで
クレバーに計算しているのか、天然でたまたま
そうなったのかわからないのも、ある意味
ハイローの持つ魅力の一つと言えましょう。

ストーリーラインがいつも最終的には「あれも
これも全部九龍って奴が悪いんだ」に落ち着く
こと、映画がリリースされる度にパワーアップ
して登場するものの結局は都合よく噛ませに
堕す運命にある、悪のスカウト集団DOUBTの
存在、そして当初はいがみ合っていながらも
巨悪を前に最終決戦の地へ集結するSWORDの
面子という全てが「東映マンガ祭り」感に溢れ、
「俺は今まさに『劇場版』を観ている!」という
感動を伴って、元々低い観客の知能指数を極限
まで削りにくる安定路線も本当に素晴らしい!

日向さんと同じ狂犬キャラだけど信念や覚悟が
足りなすぎて完全下位互換な蘭丸さん、最早
外見の時点で似すぎていて登場シーンから
「…アイスさん?」と間違えてしまうという、
キャラのダダ被りが致命的なジェシーといった
今回の顔ぶれや、日向さんは日向さんで勝敗の
不明なケンカを裏で村山くんとやってるだけ、
その村山くんはコブラちゃん最大の強敵と書いて
「とも」と読むポジションに就こうとするも当の
コブラちゃんは今回正しく主人公な位置にいる
ロッキーにご執心、スモーキーに至っては白髪に
なって出てきただけという、作品を重ねると
どうしても目に見えて浮いてくる弊害もあるっちゃ
あるのですが、「別に日向さんが負けたとは
決まったわけじゃねーし…」「は?あの流れ
なら村山くん勝ちで決まりっしょ」「テメー
日向さんdisんな!ブッ殺されてーか!」
みたいな盛り上がり方もできる熱量があって、
そんな中で九龍トップを狙う劉くん、DOUBTも
認める実力のプリズンギャング、その両方と
コネを持つマイティのアイスさんが実は今回
無駄に強キャラロールしてるのにも笑います。
俺得。

トータルすると「キングコング」観た時と同じ
くらい、劇場出た後に「なんかすごいこと
やってた気がするけど何やってたかは具体的に
思い出せない」という、ひたすら爽快感のみを
追求したようなジェットコースタームービーに
仕上がっているわけですが、これこそファンの
待ち望んだ「ハイロー劇場版」と呼ぶに相応しい
内容にもなっていて、11月にはもう公開予定の
新作「FINAL MISSION」にも期待がかかります!
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You!スパイダっちゃいなYo!

新作映画「スパイダーマン:ホームカミング」を鑑賞
してきましたので、本日はこの作品をレビューします!

チタウリによるN.Y.襲撃事件後の処理を担当していた
解体屋、エイドリアン・トゥームスはスターク率いる
ダメージ・コントロール社に仕事を奪われ失業する。
なんとしても家族を食べさせていかなければならない
彼は、現場からこっそり持ち去った異界のガラクタを
廃品利用することで犯罪稼業に手を染めていく。
それから8年、一度はアベンジャーの助っ人として
参戦したスパイダーマンことピーター・パーカーは、
スタークに認められたい一心からあの手この手で
アピールするも一切取り合ってもらえず、功名心から
最近地元を騒がせているヴィラン「バルチャー」の
捜査に単身乗り出してしまい…というあらすじ。

ソニー・ピクチャーズがディズニーと交わした契約に
よってまさかのMCU入りを果たしたスパイダーマン。
ライミ版に始まり「アメイジング」と一度リブートを
噛まされてきた彼が、そのMCUを下敷きに更なる
リブートをかけ、オリジンを構築したのが本作です。

原作最初期の設定を網羅しつつ、現代に置き換えた
舞台や映画オリジナルの展開と巧みにすり合わせて
見せた、そんな本作の内容を一言で表すとするならば、
「スパイダーマンのアバターを被った青春映画」と
いった趣になっていて、スパイダーマンという作品が
持つ本来の魅力である、「ピーター・パーカーが
日常とヒーロー、二つの生き方に挟まれ苦悩する
過程」へ最大の焦点を絞ったことが、原作への
敬意と同時に話の面白さにも直結しています。

突然・偶然賦与された”大いなる力”から興奮
気味にヒーローの使命感に目覚め、自分だって
アベンジャーくらいなれるさと売り込みへ躍起に
なっている時点の、所詮スーツに着られている
状態に過ぎなかったピーターが、やがて表題でも
ある重要なキーワード「ホームカミング」という
通過儀礼によって甘酸っぱい一時の青春を噛み
しめることで、大人への階段を一歩上ることになる
という示唆に富んだ表現の数々が素晴らしければ、
あくまで不殺を貫く青二才の、しかし優しさと
正義感に溢れた我らが親愛なる隣人・ピーター、
日常の糧のため、家族のために悪へ手を染め
ざるを得なかった哀しきヴィラン・エイドリアン、
ピーターに対し「お前こそスパイダーマンだ!」と
面と向かって言ってくれる、これほどまで頼もしい
友人もなかなかにいない”椅子の人”ネッド、
何も知らない・知らされない美しきお姫様的立ち
位置だからこそ悲劇が増幅されてしまう本作の
ヒロイン・リズと、各キャラの造形まで完璧。

そんな超大作の監督に抜擢されたジョン・ワッツ
ですが、そのきっかけとなった前作「コップ・カー」
の内容を鑑みれば納得で、謎の悪徳警官扮する
ケヴィン・ベーコンがクソガキ二人を延々追い
回していた内容は、妙に憎めない悪役に仕立て
られたバルチャーが、ヒーローを気取り便所蝿の
如く頭の上を飛び回る高校生・ピーターとネッドに
散々悩まされるものの、二人は二人で大事件に
巻き込まれ死ぬほど怖い思いを経験させられる
というプロットがそのまま重なりますし、これまで
なんとなく生き伸びられてきてしまった彼らの
ゆるふわな空気と展開が、幾度もの衝突を経る
ことで、取り返しのつかない凍てつくような寒さと
残酷さを伴った空間へ突如シフトしてしまう瞬間を
演出する手腕等からは、予算や作品のスケール
アップによって更なる才能を開花させつつ、芯は
ブレないマイペースな様が伺えるようでもあります。
登場人物全員に、肩入れしたくなる分だけの
ほのかな温かみは加える一方、蛇足の掘り下げは
しない妙なドライさが健在なのも好感が持てます。

その意味では、師弟関係を通じて擬似的な
父子の仲へとハッテンしていく社長とピーターが、
ディズニーの余計なテコ入れなのかなんなのかは
知らないのですがベタベタした過剰な色気を
感じてしまい、この点だけはMCUなればこそという
要素がかえって足枷になってしまったという印象も。
社長ならびにアイアンマンのシーン自体はそんなに
多いわけでもないんですけど、変に説教が多くて
そこはもっと削ってもいいんじゃないの!?と、
作風からそこだけ浮いてる気がするんですよね…

そんなわけで「スパイダーマン」というよりむしろ
「ピーター・パーカー」というタイトルの方がしっくり
きそうな青春映画に仕上がっていて、ド派手な
アクションシーンとかよりむしろピーターと友人が
コンビニやファミレスで延々ダベってるとこを
観たかったしそっちの方が実は面白かったんじゃ
ないかとかまである、また違ったベクトルで期待を
裏切られた、大変見応えのある作品でした。
そういう意味で言うと、ジョン・ワッツには例えば
ケヴィン・スミスでいうところの「クラークス」の
ような、ゆる~いインディペンデント系の小品を
監督してもらいたい気がしないこともないです…

あ、ちなみに、トビーもアンドリューかなり健闘
していたとは思うんですが、改めてピーター役に
抜擢されたトム・ホランドがつんつるてんのスーツで
ビシッとキめた時の「わああピーターだああ!」と
思わず叫びそうになった原作再現っぷりが半端なく、
現時点で歴代一番のハマリ役かもしれません。

弱い者の居場所はどこに?

新作レンタル「沈黙-サイレンス-」を鑑賞しました
ので、本日はこの作品をレビューしたいと思います!

お触れによって禁教令が敷かれた日本。
1633年を境に長崎で消息を断ったフェレイラ師の
行方を追うため、イエズス会の熱心な司祭二人・
セバスチャンとガルペが日本への密航を試みる。
彼らを迎え入れた隠れ切支丹たちは新たな
神父の登場に俄然沸き立つが、それは新たな
争乱の幕開けも意味していた…というあらすじ。

実在したとされる人物、クリストヴァン・フェレイラを
ベースにした遠藤周作の著作「沈黙」を原作に、
巨匠マーティン・スコセッシが映像化した本作は、
キリスト教弾圧が横行する日本を舞台に、神を
信仰する人々の揺れる心を克明に描いたドラマ。

作品を俯瞰するとまずテーマとしてあるのが、「神」
という極めて抽象的・観念的な存在を追う上で浮き
彫りにされていく人間の弱さ、そしてその危うさに
あって、「ぜずす様さえ信じていれば救われる」、
「私たちは今ぱらいそにいる」と殆ど盲目的な、
或いは狂信的とさえ言える信者たちの姿は傍目
にも決して正しいとは言い難く、それでも彼らに
神の愛や赦しを説き続けなければならない矛盾を
孕んだセバスチャンの苦悩を通じることで、一神教や
偶像崇拝の持つ危険な兆候にも触れています。

キリストの版画を踏め、十字架に唾をかけよと
真顔で迫る役人、それを泣いて嫌がる信者の
やりとりも、一周回って何だか質の悪いジョークの
ような、馬鹿馬鹿しい雰囲気さえ讃えていますが、
こうした滑稽とも些事とも言えるような出来事が、
ヒロイックな殉教をしようという極めて利己的な
自己満足の思い込みのトリガーへ時として
なり得ると暗示して見せる一方で、多様性とは
程遠い、まさしく「封建」という言葉が似つかわしい
当時の日本が採った国策がその摩擦を加速
させていた絵面は、近年の対テロ戦争と何ら
変わりない様相を示しているようにも見えます。

じゃあ結局誰が悪いのか?何が悪いのか?
という話になってきた時、2m近い巨躯を誇る
リーアム・ニーソンが全く似合わない法衣を
纏って突如登場するという、強烈なインパクトと
ユーモアを叩き込んでくるアプローチが視覚的
にも最もわかりやすい解答になっていて、白人の
彼が日本伝統の服装を着たところで浮かれた
観光客のようにしか見えないのと同様に、黒船で
乗り付けてきた外国人が小さな島国の土人に
いきなり価値観を押し付けようとしても、それが
綺麗に馴染むはずがないというわけです。

この構図は今現在でこそ侵略型の欧米人、
植民支配されたアジア人両方に向けた皮肉
という露悪的な見方もできますが、しかしいつか
そう遠くない未来で、肌の色や人種関係なしに
着物が平然と着られていく日がやってくるの
かもわからないとするならば、国籍や国境の
垣根が取っ払われて宗教の多様性がもっと
おおっぴらに謳われることだってあるかも
しれない以上、そこはもう長い長い時間を
かけて互いの文化が浸透していくのを待つ
他なく、我々にできることと言えば、せいぜい
そうなることを祈る以外は何もありません。

では人間の抱える弱さは根源的な悪なのか?
というとそれもまた別の話で、本作において
人間の弱さそのものを丸めて擬人化したような
存在・キチジローが矮小な自分の命惜しさに
逃げ惑い、何度でも踏み絵を足蹴にしながら
なおも神父に赦しを請い続ける様は、神に
殉ずるという名目で生きたまま磔にされ火に
焼かれる信者よりもよっぽど人間的で生気に
満ち、ある意味では信頼できるため奇妙な
共感や親しみさえ覚えるほどで、彼のような
人間にこそ愛や赦しが必要であり、そんな
世界を作る努力をしなければならないという
ことが直感でなんとなく汲み取れるはず。

画面の隅で下衆な笑いを浮かべていたジジィは
実は英語も堪能なお奉行だったという出鱈目な
強キャラ感半端ない、イッセー尾形演じる井上様が
「日本という沼地でキリスト教は歪んで伝わって
しまったのだ」と苦々しげに呟き、浅野忠信演ずる
通訳の役人が「仏の教えも同じことではないか?」
と、神へ至る道が必ずしも一本ではないと説いて
見せた上で、信じる心と書いて「信心」と読ませる、
即ち信仰の重要性そのものは強く打ち出した
着地点もお見事で、必要なのは心の片隅に自分
だけの神様を置いておくことであって、大仰に
他人に自分がどんな神を信じているのか、そして
その信仰がどれだけ深いかを誇示しなければ
いけないということはないというのが、本作から
発信されているメッセージだと私は考えます。

マゾヒスティックな受難から神を見出そうとして
しまう男というと、実はスコセッシ監督の初期作
「ミーン・ストリート」と非常に近いものを感じ、
宗教的な見地から新たな分野を開拓したように
見えて実は原点回帰の趣の方が強いように思え、
またキャスティング面でも「ソーシャル・ネット
ワーク」や「アメイジング・スパイダーマン」で
トラブル巻き込まれ体質全開だったアンドリュー・
ガーフィールドを主人公のセバスチャンに、
そのパートナーであるガルペには「スター
ウォーズ」で”光堕ち(笑)”しそうになっている
ダークフォースの使い手、カイロ・レン役に
抜擢されたアダム・ドライバーを据えた他、
「何故神は沈黙を続けるのか」というテーマ性に
おいては限りない近似値を誇った作品「野火」で
監督・主演を果たした塚本晋也も信者の
一人として登場させる等、役者の持つキャラ
イメージをそのまま当てはめてくる色気の
使い方まで含めて、スコセッシ節全開の作品
ですので、往年のファン相手ならば本作も
観るべき一本として堂々とオススメしたい!

恐怖に負けて夢を諦めるな

新作レンタル「SING/シング」を鑑賞しましたので、
本日はこの作品をレビューしたいと思います!

「一本もヒット作がない」とも言われるコアラの
興行師・バスターは、嵩んだ借金を返す一発
逆転を賭けて歌のオーディションを開催する。
秘書のカメレオン・クローリーが宣伝文句の
賞金を二桁間違え、10万ドルに釣られた面子
から最終選考に残ったのは貧乏子沢山な
主婦のブタ、ギャングの息子で心優しいゴリラ、
横柄で高慢な路上パフォーマーのネズミ、
ワナビな女パンクロッカーのハリネズミ、
そして気弱で引きこもりなメスのゾウだった。
果たして彼らの舞台は成功するのか…?

「ミニオンズ」で知られるユニバーサルの
イルミネーション・エンターテイメントが仕掛ける
本作品は、かつては夢に敗れた、或いは
見果てぬ夢を追い続ける市井の人々(動物)
が発起する様を描いた長編3DCGアニメ。

劇場の魅力に取り憑かれた男が、父親の
支えもあって興行の世界に飛び込むも現実は
甘くなく、借金で首が締まりそうなところで
出会ったのが玉石混交のポンコツたちという、
キャラクター設定もストーリーラインも実際の
話それほど真新しいものは一切ないのですが、
如何なる困難にも笑顔を絶やさず立ち向かい
続けるバスターの巧みな話術センス、それに
相反して観客自身や身近な人々に通ずる、
平凡な人生を歩む動物たちの日常生活が
詳細に描かれ、それぞれの生き生きとした
姿とコントラストが驚くほどの没入感を生み出し、
それはなんでもないはずの場面で不意に涙が
こぼれてしまうほどのレベルに達しています。

マシュー・マコノヒー、スカーレット・ヨハンソン、
タロン・エガートンといった豪華アンサンブル
キャストを揃え、派手なソングパフォーマンスで
お出迎えするという、主人公・バスターの精神に
則ったエンタメ興行で耳目を引くのが正しければ、
作品の設定上は素人が大スターを夢見て
オーディションにカラオケ気分で参加すると
いうのも観客の身の丈に合った内容で大変
親しみが持て、あくまで観客の側に寄り添う
ことを忘れない姿勢にも高感度が高いです。

”何か”があるからステージに上がり、”何か”
を変えたいから歌を唄うのだとした上で、
人生の舞台は必ずしも大仰に用意された
劇場でレッドカーペットの上を歩かなければ
ならないという法はなく、街角の至る所に
隠されていて自ら作ることだってできると
定め、なおかつ歌いさえすれば劇的な変化が
訪れるわけではなく、自らの持つ弱点や
恐怖を克服し、得るべき”家族”と向き
合って初めて成功が得られるとする堅実な
テーマとその構築方法が何より素晴らしく、
ラストで怒涛のように流し込まれるキラー
チューンが問答無用の説得力を持って
観客に襲いかかり、涙の嵐を呼び込みます。

8~90年代のバブリーなナンバーの数々が
郷愁を伴ったカラオケ感を引き立てると
同時に、一抹の無常さや空虚な響きさえ
覚えてしまうアメリカン・ドリーム感も当然
同居しているのですが、こんな時代だから
こそ彼らが必要で、大きな夢を見るべき
なんだとあらゆるチープさすらも踏み台に
していく、最後まで一切ブレない意志を
貫き通したスタッフは評価されるべき。

「シング・ストリート」かはたまた「ガーディアンズ・
オブ・ザ・ギャラクシー」か、それらに続いて
混迷の世に降り立ったへっぽこ英雄たちの活躍を
描いた名作がまたここに一つ誕生しました!
リバイバル・ブームの時勢ならではの作風と
いうところも多少あるかもわかりませんが、
なればこそ今!是非観て欲しい一本です!

私の人生を壊しにきた救世主

新作レンタル「お嬢さん」を鑑賞しましたので、
本日はこの作品をレビューしたいと思います!

日本統治下にある戦時中の韓国。
韓国から日本国籍へ帰化し一財を成した富豪・
上月家に取り入り財産を奪い取ろうと画策する
詐欺団は、相続権を持つ姪の秀子へ近づくため
グループから一人を侍女に仕立て送り出す。
ところが、屋敷へと潜り込んだスッキは秀子の
世話をするうち徐々に彼女へ同情を覚えてしまい、
二人は精神的・肉体的に急速に接近していく。
一方、蒐集家の道楽者な上月氏は、奇妙な
見世物で貴族をもてなすことで知られていた…
というのがおおまかなあらすじ。

「オールド・ボーイ」を実写化したことでその名と
同時に韓国映画の持つ潜在能力やバイタリティを
世界に知らしめたパク・チャヌクの最新作は、
封建的な屋敷の中で行われる奇妙で淫靡な因習や、
渦巻く思惑と謀略を描いたエロティック・サスペンス。

チンケな盗賊団が壮大な青写真を描き、尖兵を
送り込んだその先とは、門から屋敷までの送迎
にも車が必要になるような成金の大豪邸。
厳しい老婆が薄暗い屋敷の中を案内する序盤の
シークエンスから、これはチンピラどもの手には
多少余る”コト”であり「何かが起こりそう」という
不安と期待を煽りに煽ってくる掴みはバッチリ。

しかし三部構成となっている本作において第一部は
若干控えめに抑えた清楚なトーンから始まり、
詐欺師の使命を真っ当とするのかそれとも秀子の
幸せのため自らを投げ打つのか揺れ動くスッキと、
そんな彼女の心情を知ってか知らずか己の秘めた
欲望を解放し衝動的に禁断の情欲を貪る秀子という
二人の姿を、僅かな心のブレも漏らさず仔細に、
スピリチュアル・エモーショナルに描写していきます。

衝撃のドンデン返しによって第一部が幕引きされると、
徐々に狂気の片鱗が露わになっていくのが第二部で、
上月氏は度を超えたスケベジジィであり趣味の一環
として年頃の女性にお上品な隠語朗読をさせ、知人の
貴族たちに聞かせているという事実が判明します。

赤いべべを着せれば日本人形、ゴシックを着せれば
フランス人形のような前髪ぱっつんでころころした
幼女にチンポだのマンコだの大人でも口にするには
憚られるような隠語を実際に発声させるというエロ
同人もかくやという衝撃の演出には戦慄させられ
ますが、それはそれとしてそんな狂った家庭環境を
構築した紛うかたなき狂人に違いない上月氏から
キチガイ呼ばわりされる秀子の屈辱を背景に、
第二部では改めて今度は秀子の主観によって、
詐欺グループの関与や突如飛び込んできた
ワイルドカードであるスッキの存在と、秀子自身の
感情の機微が語られていくこととなります。

中盤まで来ると、このあまりにも大仰で、誇張
されすぎているとも言える官能小説然とした
世界観を前提としている意味も見えてきて、
本作の見据えたテーマとは即ち「きたないは
きれい、きれいはきたない」と言うべき虚飾や
欺瞞が蔓延る腐海の中から、二人の女性が
”真実の愛”を勝ち取る美徳、そしてその
価値観の多様性を謳うことにあると思います。

そこで面白いのはまず「最初にエロありき」
という肯定の姿勢を取った上で、上月氏は
「悪のポルノ」、スッキと秀子は「正のポルノ」
と明暗がハッキリ分けられていることにあって、
春画の真似事一つ取っても、自分の欲望のみに
走った一方的ハードコアSMはダメ!ゼッタイ!
だけど精神的な繋がりと共に両者同意の上で
成り立ったアブノーマルレズプレイなら私は
むしろウェルカムですわ!とでも言いたげな
メッセージ性は、思わず吹き出してしまうような
ユーモアに溢れつつも、所詮生理的欲求とは
切っても切れない哀しい生き物である我々
人間にとっては切実な問題であり、その
生真面目さには確かな説得力がきちんと
宿っているのも間違いなく事実でしょう。

セックスが人間の底に根付いているのだと
して、その健全さ如何が必ず目に見える形で
表面化するのだとすれば、斜陽を迎えていた
当時の日本にすがろうとして自らも日本人に
なりたがっていた上月氏の曇った瞳と、国籍や
人種・性別に全く関係することなく愛を貫き
通したスッキと秀子の対比も、結果として辿り
着いた先とすら言っていいのではないでしょうか。

序盤から散りばめられていた伏線、驚くほど
感動に満ちたカタルシスによって第二部で
もう話としては殆どオチていて、第三部は
サスペンスや過剰なバイオレンスといった
監督のやりたい趣味か、はたまたエンタメ
への色気が爆裂したほぼ蛇足パートですが、
あくまでチンポでしか物を考えられずに
暴力でしか示威行為ができない、男性の
男根主義に対する悲哀も一応含まれてたり。

聴き取れない箇所はどうしても多いものの、
俳優が皆日本語を習得し多くのシーンで
駆使を試みていたり、レズックスシーンで
二人の女優が体当たりの演技をかまして
いることが、作品に並々ならぬ異様な熱量を
注いでいることも特筆すべき事項で、立ち
位置としては間違いなくカルト映画の領域に
入ると思いますが、作品の性質としては実は
「ムーンライト」に勝るとも劣らない、新世紀に
相応しいラブストーリーなのではないか等と
個人的には勝手に思い込んだりしています。

「哭声/コクソン」「アシュラ」と、韓国で突然
同時多発的に別ジャンルで名作が連発された
中で、この「お嬢さん」こそ実はとりわけ拾い
物なベストヒットかもしれないわけですが、
よくよく考えると自分がスケベ人間なだけに
一番共感を覚えたという気もなきにしも…
いやいや、とにかく色々狂ったギミック満載、
ハッタリの利いた楽しい作品ですのでオススメ!

狂った世界観を軸にドストレートな百合愛を
導き出すというメソッド、実は井口昇作品にも
通じるものを感じるというのは余談です。
プロフィール

T-ZOK@シュガーラッシュおじさん

Author:T-ZOK@シュガーラッシュおじさん
新作映画・新作レンタル作品のレビューを主に行います。
旧跡地「はきだめの犬のはきだめ」

Amazonではアメコミを中心にしたレビューを載せてもらっています。

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